新たなエンタメを創るダンスイッシュ・パフォーマー

2019.08.28 わたしのしごと道

[ダンスイッシュ・パフォーマー]蝦名健一(えびなけんいち)さん

1974年神奈川県生まれ。高校卒業後、園芸や営業の仕事を経て、アメリカ・ブリッジポート大学付属の英語学校へ語学留学。趣味としてダンスを始める。その後大学でマスコミ学部・広告学科へ入学。2013年、アメリカの公開オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」(「America’s Got Talent」NBC)で日本人として初めて優勝。一躍、時の人となる。振付家、演出家。通称EBIKEN。「Dance-ish(ダンスイッシュ)=ダンスのようなもの」とは、ダンスがベースになっているものの、ダンスではない部分のエンターテインメントの演出が多い、蛯名さんが自身で考えた造語。

アメリカのオーディション番組での優勝がきっかけで大ブレイク。世界中でお仕事をされています。世界を股にかける醍醐味はどんなところにありますか?


世界中が息をのんだ、“首落ち”パフォーマンス。まるで瞬時に首がちょん切れたように見える。結果、数々のパフォーマンスで勝ち抜き、「アメリカズ・ゴット・タレント」では、優勝賞金100万ドルを獲得した(写真提供/蛯名健一さん)

世界中が息をのんだ、“首落ち”パフォーマンス。まるで瞬時に首がちょん切れたように見える。結果、数々のパフォーマンスで勝ち抜き、「アメリカズ・ゴット・タレント」では、優勝賞金100万ドルを獲得した(写真提供/蛯名健一さん)

どの国にもそれぞれの文化があります。国民性も違うし、街の匂いも違う。もちろん景色も食べ物も。多様な場所に、仕事ついでに旅行感覚で行けるのは単純に楽しいです。通っていた大学はアメリカ人だけでなく海外の学生が非常に多かったですし、ニューヨークも多人種。世界を回っていても「日本にいたら決して関わることがないだろう」という人に大勢会いました。だから価値観や考え方、生活スタイルの違いに関して、人に対して許容量がかなり大きくなりましたね。

日本人は相対的に優秀で、仕事の質が高い。海外の場合、例えばアメリカのほんの一握りの人なんかはめちゃくちゃすごいですが、それ以外は、比較的ゆるいというか雑というか……(笑)。
この前ロシア→タイ→日本と連続で回った時に、タイは本当にひどくて、言葉に詰まるくらい(笑)。前日リハーサルなのに何もない。舞台も何も来ていなくてびっくりしました。

ダンスを始めたのは、アメリカに留学されてからだとか。そこからどうやって唯一無二のスタイルを確立させたのでしょう?


映画『マトリックス』の名シーンやアクションゲームをヒントに。パフォーマンスのアイデアは、映画を見ている時やお風呂に入っている時、夢の中など、さまざまな時に降ってくる(写真提供/蛯名健一さん)

映画『マトリックス』の名シーンやアクションゲームをヒントに。パフォーマンスのアイデアは、映画を見ている時やお風呂に入っている時、夢の中など、さまざまな時に降ってくる(写真提供/蛯名健一さん)

始めた当時は「ダンス」で頑張っていましたが、披露する場はダンス好きが集まる場ではなく、一般の人がほとんど。当時としてはダンスもそこそこのレベルだったと思いますが、ダンスだけで見せられるのは数分で、それ以上になると間延びしている感覚がありました。そこでダンスだけではなく、いろいろな要素を取り入れるようにしていくと、他にそういったダンサーはいなかったのでウケが良くなり、需要が増えました。

ダンスはあくまでいろいろな演出素材の中の一要素と捉えて、パフォーマンスを総合的に「エンターテインメント」として考えるようになりました。ダンスは木の幹であって、他の要素は枝や葉や花。お客さんは、イメージは木(ダンス)だけど、葉や花の方を見て楽しむ。それが僕の個性となり、結果的に「ダンサー」という競争率の高い中で争うのではなく、違う分野として競争率が低い“抜け道”を見つけた感じです。

この仕事のおもしろさは何ですか? また、蛯名さんは仕事の交渉、スケジュールなども全てご自分で管理されているそうですね。


常備するのはスケジュール管理のパソコンと舞台演出が詰まったノート。「ノートはスタッフに説明することもあるので英語で書くときもあれば日本語のときも」

常備するのはスケジュール管理のパソコンと舞台演出が詰まったノート。「ノートはスタッフに説明することもあるので英語で書くときもあれば日本語のときも」

純粋にパフォーマンス自体が好きなので、みんなが楽しんでくれるのがうれしいですね。好きなもの、つまり趣味がそのまま仕事になっているので恵まれていると思います。音楽や映像の編集、撮影、加工など創作に関わるものの基礎は大学で学んでいたので、思ったものが具現化できる喜びもあります。

マネージメントについては、当初からずっと自分でやっていましたので苦ではありませんし、楽しんでいます。アメリカでダンスユニットを組んでいるときも、リーダーは僕だったのでスケジュール調整、交渉、契約書、テクニカル等の打ち合わせは全てやってました。アーティストは自分で交渉できなかったり、すべきではないと言われますが、僕は昔、営業職をしていたせいか交渉も嫌いじゃないんです。自分の思い通りに事が進んだ時は「よしっ!」となります(笑)。もちろん事務所に入ったりマネージャーを付けることに利点もありますが、僕は縛られたり、自由にできないのが嫌な性格ということもあり自分でやっています。仕事でストレスを感じることはほぼないです。

「努力が嫌い」「練習をしない」と公言していらっしゃいますが、それでもこれだけ成功されているのはなぜなのでしょう?


マイケル・ジャクソンのバックダンサーのオーディションを受けたことも。「踊ることなく落とされました。身長や体格、つまり見た目の段階で落とされた。その時、『やっぱりバックダンサーではなく、自分がメインとして表に立ちたい』と再確認しました」

マイケル・ジャクソンのバックダンサーのオーディションを受けたことも。「踊ることなく落とされました。身長や体格、つまり見た目の段階で落とされた。その時、『やっぱりバックダンサーではなく、自分がメインとして表に立ちたい』と再確認しました」

まだ成功しているとは思ってないですけどね。よく、「ストイックですごく練習やトレーニングをして努力しているんじゃないか」とか言われますが、ここ10年間は全くといっていいほどしてません。妻(元ダンサー)からも、「こんなに練習しない人は見たことがない」と言われます(苦笑)。

ただ学生のときは「ダンス」が好きだったので、時間さえあればいつも踊っていました。やらずにいられなかった。ただそれは「努力」とは違うと思うんです。「努力」とは“頑張ってやること”だと思うので。

今は体を動かして練習するより、その分の時間を“考える”や“作る”にシフトして、ダンスの技術というより演出で見せる方向に変化してきています。0から1を生み出す天才や、1を100にする努力家というより、僕は1を集めて10にして、それを100のように見せかけるペテン師だと思います(笑)。かつてアメリカでは、そういったダンサーはいなかったので、それが自分の個性として受け入れられたのが良かったんだと思います。

これからエンターテインメント界の仕事で、やりたいことはありますか?


ダンスだけでなく、CGやマジック、パントマイムなどの手法も取り入れた独自のパフォーマンスが、多くの観客を沸かせる(写真提供/蛯名健一さん)

ダンスだけでなく、CGやマジック、パントマイムなどの手法も取り入れた独自のパフォーマンスが、多くの観客を沸かせる(写真提供/蛯名健一さん)

まず自分自身はパフォーマンスができる間はずっと続けたい。また増え続ける訪日外国人が、もっと楽しめるショーを増やしたいというのもあります。そして日本にはダンスや歌、お笑いなど各ジャンルこそありますが、「オールジャンル=何でもあり」の登竜門的なタレントコンテストがないので、それこそアポロシアターのアマチュアナイトやゴットタレントのような定期継続型のコンテストの場を作りたい。審査員はお客さん。ショービジネスをもっと国際的レベルにして外資を取り込める産業にしたいですね。

日本にも世界レベルのスキルを持った人が育ってきていますが、一部の玄人に称賛されて終わってしまう人や、ギャランティが能力に見合っていない人も多い。ある程度お金が稼げないと後続の人は夢を持てません。僕の周囲の才能ある若手ダンサーも、親の大反対に悩みながらも頑張っています。親世代はエンターテインメントに価値を見いだしてないし、「無理でしょ」と思っている。そんな環境を変えたいですね。

蛯名さんのような仕事を目指す子どもたちへ、何かアドバイスはありますか?


「親からの強制によってやっているおけいこごとも、イヤイヤながらも伸びていって、いつか大人になって気づいたら親に感謝してる、ということだってある。それを思うと、何が正しいとか、間違えているとかはないよなぁ」と蛯名さん

センスや技術を追求するアーティストタイプではなく、僕のようなエンターテインメントタイプを目指すならば、まずは自分で何か作品を作ること。そして人に見せ、反応を見たり意見を求めてみて、「どうすると人が良いと思うのか」を探して、より良くなるよう改善していく。

印象に残る個性を持つのも大事です。自分を特定できるアイコンのようなものを作る。人が見たら「あ、これはあの人だ!」とわかるような。あとは無駄になりそうなことでもやってみる。無駄なことは何もないですが、その中で何が必要で、何が必要でないのかを知ることも大事です。といっても、僕が小・中学生の頃って何も考えてなかったんですけどね(笑)。

小さい頃から何かが見つかる人は素晴らしいけど、無理に見つけようとする必要はないかなと思います。見つかる時には見つかる。僕が見つかったのも20歳くらいだったし、40歳超えて見つかる人もいます。焦ることはありません。

取材・文/橘内美佳 写真/村上宗一郎