「ハリー・ポッター」翻訳者の心を支えた「3つのD」

2019.04.01 わたしのしごと道

[通訳・翻訳家]松岡佑子(まつおか ゆうこ)さん

1943年生まれ。国際基督教大学教養学部歴史専攻を卒業後、海外技術者研究協会に就職。81年より国際労働機関(ILO)にて通訳として活躍。モントレー国際大学院大学(MIIS)・国際政治学修士。亡き夫が残した静山社の社長に就任し、99年にシリーズ第1巻となる『ハリー・ポッターと賢者の石』を刊行。スイス在住。

「ハリー・ポッター」を翻訳される前は、通訳をされています。大学卒業後にすぐに通訳になられたのでしょうか?


背後にある絵は、日本版「ハリー・ポッター」の表紙になったダン・シュレシンジャー氏の原画。友人でもある彼が『ハリー・ポッターと賢者の石』を紹介してくれた

卒業と同時にフリーの通訳者になったのではなく、海外技術者研究協会という財団法人に就職しました。海外の技術研修生に日本語や日本の事情を教えて企業に送り込むのが主な仕事で、一般的な職業人として接客やお茶くみなどもしながら、内部通訳として7年間修行を積みました。日本の文化や産業を勉強し、研修生が身につける技術の内容を把握するなど、あらゆる知識を吸収しなくては通訳できません。大学新卒くらいでは知らないことばかりでした。
英語が母国語ではない人たちのなまりのきつい英語を聞き取り、言葉だけではなく、気持ちで伝える必要もありました。そのおかげでフリーになったときに「なまりに強い松岡さん」として評判になりましたが(笑)。そこで学んだことは、通訳の技術だけではなく「言語の違う人に何かを伝えるコミュニケーション力」、そして「与えられた環境の中で何かを学び取る力」でした。

フリーの通訳として、主にどんな仕事をされましたか?また、通訳するためにはどんな準備が必要ですか?


国際労働機関で通訳の準備をする松岡さん < 1982年 スイス・ジュネーブ > (写真提供/松岡佑子さん)

7年くらい海外技術者研究協会に勤め、日米会話学院で英語の技術を磨いてからフリーの通訳として独立しました。少しずつ仕事が増え、やがて国際労働機関でも通訳をするようになったのです。アポロの月面着陸のテレビ中継で、ほとんど同時に通訳が行われたのを機に同時通訳という方式が一般に知られるようになりました。
国際会議の同時通訳には下準備が欠かせません。まず会議の参加者の名前、肩書、会議の内容、どんなスピーチなのかを勉強します。通訳する参加者に話を聞く機会があればそこで疑問を解決し、著書があれば読みます。それがいい加減に頭の上を通り過ぎるようではダメなんですね。言葉として頭の中に定着して会議の場でさっと出てこないと通訳にはなりませんから。会議が終わると全部忘れてしまってもいいのですが(笑)。勉強するのは膨大な量です。実際に会議で使うのは勉強した100のうち1くらいでしょうか。

その後、「ハリー・ポッター」の翻訳に携わりますが、文芸書を翻訳するときどういう点に注意を払いますか?


翻訳には電子辞書、ランダムハウスの英和大辞典、日本国語大辞典などを使用。手前は最新刊の『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』と原書

通訳として会議で使う資料など専門的な翻訳をしたことはありましたが、文芸書の翻訳は「ハリー・ポッター」が初めてです。専門的用語なら最近の機械翻訳である程度置き換えることができます。でも文芸翻訳はそれだけではだめで、読みやすく、面白くなくてはいけません。原作者の言いたいことを正しく伝えながら、日本語として自然になるような工夫を凝らしました。
“I”という一人称を「わたし・あたくし・おれ・わし・わがはい」などキャラクターに合わせて変えたり、イギリスの学校制度“the local comprehensive”を「7年制の中等学校」と注釈を入れずに文章に入れ込んだり。フクロウ通信という冊子の中に訳注となるものを書き込んだりしました。伝えたいのはこの本の面白さですから、英語が透けて見える直訳ではいけないのです。しかも出版社の社長として本を売らなくてはいけませんでした。売れないと印税も払えない状況でしたから(笑)。

英語に興味がある小・中学生が、磨いておきたいこと、やっておきたいことは何でしょうか。


普段はスイスで仕事をすることが多いが、帰国時は静山社のデスクを使用することも。書棚には各国の「ハリー・ポッター」の翻訳本

本を読むことをおすすめします。テレビやゲーム、映画などのメディアは見ているだけで情報が入ってきますが、本は自らがのめり込んでいかないと読めない能動的な作業です。この作業で頭の練られ方が違ってくると思います。名作だけでなく、マンガの良書からも学ぶことがあります。英語の前にまずは日本語が大事なんですよ。
英語が話せることが、すなわち教養人とは言えないし、英語の文化を知っているとは言えないのです。アメリカやイギリスに行ってごらんさい。誰だって英語を話しますよ(笑)。小・中学校の間は広い世界を見てほしいですね。その中で英語がどうしても好きななら追求するのはいいことです。J.K.ローリングに「人生において、情熱ほど重要なものはない」と言われた私ですから。ただ、それは将来の職業に必ずしもつながらないかもしませんが、それでいいと思うんです。

学校の英語が得意でも、帰国子女の英語力に打ちのめされ、挫折する子もいるようです。その壁は乗り越えられますか?


「ハリー・ポッター」ファンの方がダンブルドア校長の部屋をイメージして制作したドールハウス。「ハリー・ポッター」全7巻の総部数は2300万部を超えるベストセラーに

「3つのD」があればできます(笑)。『ハリー・ポッター』第6巻でトワイクロスという先生が生徒たちに「“3つのD”を心にとめておきなさい」と言うのですが、それが「Destination・Determination・Deliberation」です。Dの文字を日本語に合わせて「どこへ・どうしても・どういう意図で」と訳しました。目的を達成するには「どこに行くかを考え、どうやって行くかを考え、どうしても行ってやるという決意」が必要だということです。
「帰国子女に会って、自分の英語のレベルがダメだと思った」なんて、私自身がそうですよ(笑)。田舎から出てきて、大学で帰国子女どころか外国人にもたくさん会って、「今まで私は何をやってきたんだろう」と思うレベルの差がありました。でも、それは会話のレベルで、本を読むことや学問とは別の問題です。それに、ほかの人が自分より英語ができるからといって「それがなんだ」ということです(笑)。自分がやりたければ続ければいいのですから。

松岡さんは仕事をやめようと考えたことはありますか?「働く」ということは、松岡さんにとってどういうことですか?


翻訳作業でボロボロになった『ハリー・ポッターと賢者の石』の原書

中にはJ.K.ローリングのサインが。「こんなにひどい状態の本は見たことがない。すてきだわ!」

仕事をやめようと思ったことはないですね。母もずっと教師をしていましたし、前の主人が稼がない人でしたから(笑)。フランス哲学を専攻し、卒業後はものを書きたいと定職に就かず、私が生活費を稼ぐ必要がありました。裕福な人と結婚していたら、たちまち砕けていたかもしれません(笑)。
ただ33歳のときにイギリスに半年間留学しました。生きた英語に触れてみたいという思いと、長年続けてきた仕事が自分に向いているかを考えたかったからです。留学は「やっぱり自分には通訳が向いている」と再決心をするきっかけになりました。しかもその帰りの飛行機の中で「ハリー・ポッター」を紹介してくれるダンとの運命的な出会いをするわけですから。
英語が好きで必死に取り組んでいるうちに、通訳という仕事を得ました。面白くてやりたいことならば、たとえお給料が少なくても自分が納得できるまでがんばれる。私はそれが職業だと思います。

取材・文/米原晶子  写真/門間新弥