3つ星レストランのスーシェフから出張料理人へ。挑戦を続ける料理プロデューサー

2020.02.10 わたしのしごと道

[料理プロデューサー]狐野扶実子(この ふみこ)さん

1997年パリの名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」首席卒業。ミシュランガイド3つ星レストラン「アルページュ」スーシェフ(副料理長)就任。2001年よりパリを拠点に、シラク・フランス大統領夫人(当時)をはじめ、EC(EU)や中東、北米、カナダなど、世界中のVIPの「出張料理人」として活動。その後、美食ブランド「フォション」のエグゼクティブシェフを務める。『LA CUISINE DE FUMIKO』 がグルマン世界料理本大賞の女性シェフ部門で世界最優秀賞を受賞。現在日本を拠点に、料理プロデューサーとして活動。著書多数。

世界的な料理プロデューサーとして活動しています。どのような仕事をされているのでしょうか?


(上)パリの「エコール・ド・キュイジーヌ・アラン・デュカス」での授業風景。「ほぼ全員現地の方で、フランス料理を教えます。おしょうゆをフランス人が日常の食卓に使えるように、紹介したこともあります」 (下)日本では、九州のクルーズトレイン「ななつ星」のイベントで料理を担当(写真提供/狐野さん)

自分のお店を持たずに、フランスではアラン・デュカスさんの主宰する料理学校で講師として授業を行ったり、国内外の期間限定イベントでのメニューやレシピを作っています。


日本ではレストランのメニューはシェフが作ると思いますが、フランスでは規模の大きいレストランになると、シェフの他にコンサルタントがついて、一緒にメニュー開発をします。私もそういったことをやっているわけです。


ベルサイユ宮殿で開かれた、フランス料理を世界に広めるイベント「グードフランス」にも参加しました。今は亡きジョエル・ロブションさんや、3つ星レストランのシェフの皆さんと一緒にメニューを作り、私は最初の前菜を担当しました。国際線ファーストクラスやビジネスクラスの機内食メニューやレシピも作っています。

そもそも、どのようなきっかけで料理の仕事をするようになったのでしょうか?


「今も昔も目の前に降ってくる仕事をクリアするので精いっぱいです。とりあえず一つひとつやっていくと、それが好きかどうかわかるかもしれないと思っています。今もまだその途中です」

大学生のときに、友人から家族がやっているレストランのお手伝いを頼まれて、アルバイトをしていました。フランス人の女性がいていろいろな話を聞くうちに興味を持って、卒業後は2年間フランスに語学留学をしました。その後日本で就職も決まっていたのですが、知り合いだったパリの特派員と結婚し、再びパリに住むようになりました。


自宅近くの料理学校「ル・コルドン・ブルー」でフランス料理を習いはじめたのですが、卒業後ももっと料理を極めたくて、3つ星レストランの「アルページュ」へ。といってもスタージュという無給の掃除係からのスタートです。


調理場は危険な場所。言われたことは1回で理解しないといけないので、語学はここで上達しましたね。デザート、前菜、付け合わせ、魚、肉、全ての担当を経て、3年後にスーシェフ(副料理長)を任されるようになりました。スーシェフはオーナーシェフで私の師匠でもあるアラン・パッサールさんの料理を100%再現しなくてはなりません。厳密でストイックな仕事を続けるうちに、次第に自分のメニューを作りたくなり、退職すると、「自宅へ来て料理を作ってほしい」という声がかかるようになりました。

世界のVIPのお宅へ行って料理を作る「出張料理人」として活動していました。どのような日々だったのでしょうか?


狐野さんが作った「ミロのスープ」。出張料理で、とあるディナーの前菜にスープを出したところ、招かれていたお客様が、「まるでミロの絵ね」と言って名付けてくれた(写真提供/狐野さん)

飛行機で現地に入り、VIPが呼ばれているディナーを作るために一人で行くわけです。チームでやっていると励まし合ったり失敗してもみんなでカバーできますが、落ち度があれば全て私の責任です。やはりすごくプレッシャーがありましたね。


出張料理は、準備に時間がかかります。主催者にお客様の国や宗教、会のコンセプトなどを確認すると、次はニーズに応えてどんなものを作るかを考え、実際の料理にどう落とし込むかでメニューが決まっていきます。食材はそのお宅の土地のものがいいのはもちろんですが、行ってみなければわからないことも多く、少しだけお守りのように真空パックになった食材などを持って行くのですが、空港で見つかって没収されたこともあります。


本音を言うと、いろんなところへ行けるのが楽しかったんです。行った先のメイドさんたちがディナーの買い出しに付き合ってくれた途中、「ちょっといい? ここで買いたいんだけど」って中華街のような現地のコミュニティーの食品店に寄ったりするんです。私も一緒についていって、ディープなところで食材を眺めたり、そこで買った食材で彼女たちがごはんを作るのを見て、誘われてちょっと食べたり、私も作ったものを「食べてみる?」なんて言って交換したり。それが私のモチベーションになっていましたね。

最高峰の食の世界が仕事場です。おいしさのためにどのようなことが必要なのでしょうか? 


狐野さんが移動時に持ち歩く料理道具。(上から時計回りに)スクレーパー、ビニール袋、おしぼり、柄の取り外し可能なゴムベラ、ステンレスヘラ、アルページュでもらった二つ折りナイフ、巻き尺、竹串、スプーン、岩塩と燻製塩、麻ふきん。厳選された道具をコンパクトにまとめている

現地の食材の持ち味、いいところを前面に出すということなのだと思います。料理人は皆さん同じだと思いますが、自然の恩恵でできているものに謙虚に向き合い、痛めずに傷つけずに素直にお客様に届ければ、まずいわけがない。そこに国境はないと思います。


食べる量だったり塩分や甘さの好みなどはそれぞれにありますが、最近はお砂糖の健康に対する影響を皆様よくご存じですし、和食もワールドワイドなので、味付けやオイルの使い方はどんどん差が縮まっていると思います。冬だったら夏より酸味や塩味が少ない方がおいしく感じられますし、食べる方の年齢によって火入れを変えたりもします。


見た目の美しさも大切です。盛り付けにピンセットを使うシェフも多いのですが、私は竹串を箸のように使っています。必須なのが巻き尺。お皿や食材の大きさを確認するのに使います。白色は大きく黒色は小さく見えますが、数字なら正確な判断ができます。レシピを書いて出すことも多いので、野菜を切る場合にも1㎝と書くと、8㎜や1.2㎜になる可能性があるため1.1㎜とか厳密に記します。レシピは再現性を考なくてはいけないので。

料理人の世界は厳しいイメージもありますが、実際はどうなのでしょう。狐野さんもシェフとケンカをしたというのは本当ですか?


パリのプラザアテネのスタッフと共に。夏限定のテラスレストランでは、パリで大流行のBENTO(弁当)をテーマに、狐野さんプロデュースのサバを使ったランチコースが絶賛された(写真提供/狐野さん)

私はフォションにいたとき「鉄の女」って言われていました(笑)。普段はふわ~っとしているのですが、自分がこうだと思ったらやってみないと気が済まないし、妥協しない。

 

期間限定イベントで行ったパリのホテルでは、初日にトップとケンカしました。けっこう足をガクガクさせながら口答えしていたんですけど(笑)。私はDHAを含んだサバを使ってお料理したかったのですが、ホテルのシェフは、「サバなんてノーブルな魚じゃない。日常的過ぎる。パラスという称号を得るところで出せるか」という考え。だけど私は、「今、特にパラスに来るような方たちには、お金を出せば食べられる食材ではなくて、お金を出しても欲しいと思っている健康や美に向かうものを食べてもらうことが、私たちレストランのすべきことではないか」と。

いろんな要素があってのことなのに、それが自分たちの所にそぐわない食品だからダメと却下されるものではないと思って。伝わっていないと思うと、より伝えたいと思ってハレーションが起きるんですね。


最後はすごく仲良くなって、行くたびにごちそうしてくれるようになりました。

料理のキャリアを積み重ねてきた狐野さんです。子どもたちには、どんなアドバイスをしますか?


大勢の人が関わる機内食の仕事に携わって、フードロスへの関心が高まりました。そこで現在、大学院でシステム工学の勉強をしています。料理は作る過程でもフードロスが多く、何ができるのかまだわかりませんが、経験からの実践的な論文を書く予定です

仕事のキャリアとは、レコードだと思うんです。回るレコード盤ではなく記録の方のレコード。沈んだ時があっても、それは次のところへつながるもの。すばらしい部分ばかりじゃなく、失敗も含めてキャリアになっていくのだと思います。


私、火事に遭って荷物が全部燃えちゃったり、空き巣に入られたことがあるんです。その時に思ったのは、「モノって、結局あっけらかんとなくなってしまうんだ」ということ。目に見えない技術や知識を自分に蓄えた方がいいですよね。だから家にあるフライパンや鍋は使い古した平凡なものばっかりですよ(笑)。どうやったらうまく煮えるか、どうしたらうまく火を通せるかを知っていれば、フライパンの底が薄くても厚くても対処できると思うんです。カレーを作ろうとしてジャガイモがないから、大根を入れたらおいしかったっていう経験で、また新しいレシピができるのですから。

取材・文/編集部 写真/門間新弥